鹿児島地方裁判所 平成6年(ワ)943号 判決 1997年1月27日
原告
肥後洋行
右訴訟代理人弁護士
中原海雄
被告
鹿児島県
右代表者知事
須賀龍郎
右訴訟代理人弁護士
松村仲之助
右訴訟復代理人弁護士
野田健太郎
理由
第一 当事者等
請求の原因一の事実は、当事者間に争いがない。
第二 事実経過
当事者間に争いない事実(破線部分。以下同じ。)及び〔証拠略〕によれば、以下の事実が認められる。
一 県立鹿児島工業高校では、平成元年一月一四日(土曜日)は、午後一時四五分から三時四〇分までの間、二年生を対象に公務員模擬試験及び就職模擬試験が行われ、同校体操部の二年生部員が同試験を受けるため、同部顧問の越智秀章教諭(高校時代に体操部に所属した体操経験者)の指示を受けた同部副部長の萩原信行(二年生)から、一年生部員に対し、二年生は模擬試験を受けるから、同部の練習は午後四時からとし、それまではマットを準備し、柔軟運動をして、自分のできる範囲内で軽く流しておくようにとの指示があった。
〔〔〔証拠略〕〕
二 原告は、同日午後二時四五分ころ、同部の練習を行うため、同時期(昭和六三年一〇月一三日)に入部した森直哉(一年生)とともに、同校体育館に到着したが、そのとき、すでに同体育館では、他の同部一年生部員四名(赤塚太、吉村勉、吉村勝、古別府。いずれも同年四月入部)が、マットを敷き、ロイター板(跳馬に用いる弾力のある踏切板)を使用して、前方抱え込み一回宙返り(以下「前方宙返り」という。)を行っていた(その際のマットの配置は別紙B(乙一の別紙2中の図面〔略〕)のとおり。)ため、原告は、前転系から始まるマット運動の順序に従わず、いきなり他の部員が行っていたロイター板を使用しての前方宙返りの練習に加わった。
〔〔証拠略〕〕
三 本件事故の発生
原告は、一回目に同練習を試みた際、体が回転しすぎて顔がマットに付きそうになって手をついたため、見ていた赤塚から「抱え込みすぎる」との注意を受けたが、同日午後二時五〇分ころ、順番に従って、二回目に同練習を試みた際、空中で体が回転しすぎ、体を開くことができず、両手を下に垂らした姿勢で、手をつかないまま、足と同時くらいに前額部からマットに落ちた(その状況を図示すれば別紙2のとおり。以下「本件事故」という。)。
〔〔証拠略〕〕
四 原告は、マット上に倒れ、体が動かず、首を痛がったが、他の部員らは、「むち打ち」だろうといいながら、原告をマットに寝かせたままマットごと体育館の隅に運んだ後、そのまま練習を続けた。
〔〔証拠略〕〕
五 同日午後四時ころ、前記模擬試験を終えて体育館に来た萩原が、原告及び他の一年生部員から事故の模様を聞いた上、三〇分ほど原告の様子を見ることにしたが、手足のしびれを訴えだした上、顔色も悪化したため、他の一年生部員らと相談の上、病院に運ぶこととし、原告を、吉村勉が背負い、他の一年生部員が適宜支えながら、同時三〇分ころ、同校校門前の米盛病院に運び込んだ。
〔〔証拠略〕〕
六 原告は、本件事故により、第五頸椎骨折による頸髄損傷の傷害を負い、同日から同年五月九日まで一一六日間米盛病院に、引き続き平成三年四月三〇日まで七二二日間(ただし、平成元年五月九日は米盛病院への入院日と重なる。)熊本県の水俣市立湯之児病院にそれぞれ入院して治療を受け、その後、同年八月二二日から平成六年九月三〇日まで、大分県別府市の国立別府重度障害者センターにおいてリハビリテーションを受け、同年一〇月一日から、社会福祉法人「太陽の家」重度身体障害者更生援護施設「ゆたか寮」において、社会復帰訓練を受けながら現在に至っている。
〔〔証拠略〕〕
なお、原告は、湯之児病院への入院は平成三年六月二〇日までであったと主張し、これに沿う供述をする(157項)が、乙三に照らし採用できない。〕
七 原告の症状は、平成三年四月三〇日固定し、両下肢完全麻痺(自動車損害賠償保障法施行令二条別表第一級八号相当)、両上肢麻痺、両手指麻痺(同第四級六号相当)及び神経因性膀胱直腸障害の後遺障害が残ったが、具体的には、現在も、次のとおりの状況にある。
1 両下肢の機能は全廃し、歩行・走行、階段の昇降、座位から立位への移動はいずれもできない。
2 両上肢の機能には著しい障害があり、両腕は肩の位置よりやや上(一三〇度)までしか上げることができず、食事はフォーク(左手)使用によりできる、整容は万能カフ使用によりできる、更衣はかぶりシャツはできるが、ボタンをとめることはできない、ズボンはジャージ・ゴムウエストパンツはできるが、ベルト使用はできない、靴下は、緩く両側に紐を付ければできる。
3 手指については、右手指の機能は全廃し、左手指の代償運動により、つまむことはできるが、箸、ハサミ、ペンの使用はできず、自動具をつければかろうじて字を書くことができる。
4 自然排尿・排便はできず、排尿は一日に五、六回カテーテルを挿入して行い、排便は四日毎に下剤を服用し、座薬を挿入して行う。
〔〔証拠略〕〕
第三 本件事故発生の前提となる事実
一 同校体操部の部活動の実情
当事者間に争いない事実及び〔証拠略〕によれば、以下の事実が認められる。
1 体操部員
本件事故当時における、体操部員は二年生七名、一年生六名(原告を含む。)であった。
2 練習時間
練習は毎日行われ(ただし、日曜祝日は試合前一か月のみ。)、練習時間は、月曜日から金曜日までは午後四時三〇分から午後六時三〇分ころまで、土曜日は午後二時から四時三〇分ないし五時ころまで、日曜祝日は午前九時から午後〇時三〇分ないし一時ころまでであった。
〔〔証拠略〕〕
3 練習内容
体操部の練習は、越智教諭が、同部で従来から行われていた練習内容及び部員の意見等も踏まえて策定した週間の練習計画及び練習内容に従って行われていたところ、マット運動の練習内容は、まず準備運動として柔軟運動(関節をほぐし筋肉を伸ばす運動で、一人又は複数で組んで行うもの)を行った後、前転系、後転系、倒立系、転回系(各系の運動の細目は別紙1〔略〕の縦の点線の左側に列挙したとおり。後の種目ほど難度は増し、先の種目が後の種目の準備運動の役割も果たしている。)の順に行われていた。
〔〔証拠略〕〕
4 練習方法
マット運動の練習方法については、部員各人の技能の程度が異なるので、右3の練習順序に従い、まず部長が先行して模範を演じ、これに続いて上級生から下級生、技能の上位者から下位者の順に一列になってその技を踏襲していくものとし、自分のできない技は見学して要領の把握に努め、そのうちに技能の上位者又は顧問の指導を受けてその技を修得するというように、各人の技能に応じて行われていた。
〔〔証拠略〕〕
5 越智教諭の立会い及び指導内容・方法
同教諭は、教科の準備、職員会議、諸行事、中間・期末考査の問題作成、採点と成績処理、校務分掌事務等のため、練習に立ち会うことができたのは四割程度であり、立ち会った際には、技術的な指導を個別的に行っていたが、新入部員や未熟者は、上級生や同級生のうちの技術の優れた者の指導により、技術を習得することが多かった。
〔〔証拠略〕〕
二 原告の技量
本件事故当時、原告は、前年一〇月入部後三か月目の初心者であり、上級生はもとより、前年四月入部の他の一年生に比しても、体操の能力・技量がかなり劣っていた。
三 日常の練習内容とロイター板の使用
〔証拠略〕によれば、毎日行うマット運動の練習内容(右一の3参照)には、ロイター板を使用して前方宙返りを行うことは含まれていなかったが、本件事故以前から、大会前や跳馬の練習で同板を使用した後などに、上級生も含めて、跳躍の角度や高さ、空中姿勢等を相互にチェックする目的で同板を使用して前方宙返りを行うことがあり、また、一年生部員は、しばしば、正規の練習開始前に、遊び感覚で(他の部活動の部員らが加わることも多かった。)同板使用の前方宙返りを行っていたことが認められる。
〔〔証拠略〕〕
四 ロイター板使用の前方宙返りの技術的水準と危険度
1 認定事実等
当事者間に争いない事実、前記第二に認定の事実及び〔証拠略〕によれば、以下のとおり認められる。
(一) ロイター板を使用しないで行う前方宙返りは、体操の演技の中では比較的初歩的なものであり、原告程度の体操経験者であっても、補助者なしで行うことができる水準の演技である。
(二) 原告は、昭和六三年一二月初めころ(入部約一か月半後)には、同板なしの前方宙返りを補助者なしでできるようになっていたが、本件事故当時においても、どうにか足の裏で立つことができる程度の水準にあり、空中姿勢や着地姿勢は未だ不安定であった。
〔〔証拠略〕〕
(三) 初心者が同板を使用しないで前方宙返りを行う場合には、回転が不十分なまま背中や尻から着地することが多いが、同板を使用すると、その反発力により、跳躍の高度は五〇センチメートルから一メートル程度高くなり(したがって、跳躍の距離も伸びる。)、滞空時間が長くなるため、むしろ、回転しすぎる(着地したときに、足をすくわれるような状態で前に倒れる)おそれがある。
〔〔証拠略〕〕
(四) 本件事故当日の原告のロイター板を使用しての前方宙返りは、一回目は回転しすぎて手をついたが、二回目は回転しすぎて手をつくことができずに前額部からマットに落ちた(これが本件事故である。)ものであった。
〔〔証拠略〕〕
2 右1の事実によれば、本件事故当時の原告の技量を前提とした場合、ロイター板を使用しないで行う本来の前方宙返りであれば、格別重大な事故につながるような危険性を有するとは認められないが、同板を使用して行う前方宙返りは、過回転により頭部から落下し、十分な防御ができないで頭部を強打するおそれがあり、重大な事故発生の危険性を有していると認めるのが相当である。
3 右の点に関し、〔証拠略〕は、そろって、ロイター板を使用して前方宙返りを行うことが特に危険であるとは思わない旨証言・供述している。
しかしながら
(一) 右のうち、萩原、原告及び赤塚は、いずれも、本件事故当時、体操経験が二年ないし一年未満であって、右証言・供述するところの危険とは思わないとの判断が確たる根拠に基づくものであるかは疑問の余地があること、
(二) 右のうち、体操の経験が最も長く、かつ、指導者の立場にあった越智教諭は、同演技には過回転の危険がある(〔証拠略〕)が、通常は四つん這いになるような形でマットに手をつくため、特に危険性は感じない旨述べており(〔証拠略〕)、このことは裏を返せば、空中姿勢を崩す等して、適切に手をついて落下の衝撃を緩和することができない事態になれば、事故発生の危険があることを示唆するものであること、
以上に照らすと、前記証言・供述部分は、右2の認定を左右しないというべきである。
第四 越智教諭の注意義務及び同違反と被告の責任
一 被告の安全配慮義務(一般的義務)
県立鹿児島工業高校の設置者である被告は、同校の生徒との間の契約に基づいて成立する在学関係から生じる義務として、学校教育の際に生じうる危険から、同校生徒の生命・身体等を保護するために必要な措置をとるべき義務(安全配慮義務)を負うところ、本件事故当時、越智教諭は被告の公務員(履行補助者)であった。
二 予見可能性
前記認定の事実によれば
1 ロイター板使用の前方宙返りは、正規の練習時間中にも行われたことがあるから、原告を含む同部員らが、マット運動の練習に同板を使用する方法が効果的であると考え、越智教諭の立会いの有無にかかわらず、同方法による練習をする可能性があることを同教諭は予見し得たこと、
2 同板を使用すると、跳躍の高さが増し、滞空時間が長くなるため、余裕を持って演技を行えるようになることから、特に初心者が同練習に興味をもち、練習時間中やその前後の時間において、興味本位で同板使用の前方宙返りを試みようとする場合がありうることを同教諭は予見し得たこと、
3 原告は、すでに補助者なしで前方宙返りができる水準(ただし、どうにか足の裏で着地できる程度)に達していたから、同板使用の前方宙返りの危険性に思い至らず、興味本位で同練習に加わる可能性が十分にある(原告の年頃は好奇心の旺盛な頃である。)ところ、原告の右技量を認識把握していた同教諭は、右可能性を予見し得たこと、
以上のとおり判断される。
三 同教諭の具体的注意義務及び同違反
そうとすれば、右一の安全配慮義務に基づく具体的な義務として、同教諭は、原告がロイター板を使用して前方宙返りを行うことがあり得ることを予見し、同練習を行う場合には同教諭や上級生の立会指導の下に行い、右立会指導がない場合には同練習を行わないようあらかじめ指導監督し、もって、同練習に伴う危険を回避すべき注意義務を負っていたと解すべきところ、同教諭の証言(〔証拠略〕)によれば、同教諭は、原告が同板使用の前方宙返りの練習に加わる可能性があることの予見を欠いていたことが認められるから、同教諭は、右注意義務を怠り、右指導監督を怠った結果、本件事故の発生を防止できなかったというべきである。
したがって、被告は、国家賠償法一条一項により、原告に生じた損害を賠償すべき義務を負うと解するのが相当である。
第五 過失相殺
一 原告の過失
前記認定の事実、判断によれば、
1 本件事故当日の練習は一年生部員のみで行われ、同部のマット運動の正規の練習内容には含まれていなかったロイター板使用の前方宙返りを興味本位あるいは遊び感覚で行っていたと推認されること、
2 原告は、遅れて練習に参加したため、マット運動の準備運動を兼ねている前転系から始まる順を追った練習メニューに従わず、すでに他の一年生部員らが行っていたロイター板使用の前方宙返りの練習にいきなり合流したこと、
3 本件事故当時の原告の技量に照らせば、前方宙返りの練習にロイター板を使用するのは事故発生の危険性を伴うところ、漫然と同練習に加わったこと、
4 原告の一回目のロイター板使用の前方宙返りの練習の際、回転しすぎて顔がマットに付きそうになって手をつき、赤塚から「抱え込みすぎる」との注意まで受けたにもかかわらず、二回目の練習の際にもほぼ同じように回転しすぎた上、手をつくことができずに前額部からマットに落下し、本件事故に遭遇したこと
以上のとおり認められる。
二 過失相殺
〔証拠略〕によれば、高校におけるいわゆる部活動は、生徒の自主的・自発的参加を前提とする教科課程外の活動であると認められる上、前記認定のとおり、原告は本件事故当時一五歳一一か月であり、すでに義務教育を終えている年齢であるから、顧問教諭の事細かな指導がなくても自らの判断で事故から身を守ることができるはずであり、その責任も負っていると解すべきであって、これらの点を踏まえれば、本件事故の発生に関する右一の原告の過失の寄与は大きいというべきであり、前記越智教諭の過失の内容・程度と対比すれば、その割合は三対一と認めるのが相当である。
(裁判長裁判官 蓑田孝行 裁判官 西郷雅彦 野田恵司)